AIの先にあるもの~ライターが感じるこれからの「言葉」の価値~

AIが広く使われるようになって、
ライティングの仕事はどんどん減っているように感じています。
実際私も「AIにやらせればいいから」という理由で、
8年以上お付き合いのあったクライアントとの契約が終了しました。
AIは確かに便利です。
何か問いを入れれば、すぐに答えが出てくるし、
指示を出せば、あっという間に完了させてくれる。
業務効率化は一瞬で叶います。
それまでライターが1文字1文字タイピングしていた記事も、
30秒ほど待っていればそれなりのクォリティで出来上がってくる。
リサーチだって、5秒待てばそれっぽい答えが出てくる。
「もう、人の手なんて要らないんじゃないか」
そう思ってしまう気持ちも分かります。
でも、気づいている人もいるはずです。
「AIって、思っているほど万能ではないな」と。
AIはあくまで「道具」です。
使う人が変われば、生まれる結果も変わります。
そして時代がどれだけ進化しても、
「AIの先には必ず人がいる」という事実だけは変わりません。
【AIの生成結果を左右するのはプロンプトにあらず】
「誰が使っても同じでしょ」
「ちょこっと質問を入れればラクできるでしょ」
AIにライティングを任せることにした企業さんの中に、
こんな考えでライターを手放したり、単価を大幅に下げたりしたケースはありませんか?
しかし、威勢よくライターを手放したものの、
思うような成果物が上がってこない。
仕方なく「これが適正価格」といって、
驚くほど低い単価でライターを呼び戻す……
そんな話も耳にします。
正直、これまで言葉と向き合ってきたライターからすれば、
AIに丸投げして思うような結果が得られないのは「当たり前」です。
ライターは、単にAIへプロンプトを打ち込む作業だけをしていたわけではありません。
プロンプトを作る前に「何を、どう問うか」を設計する
齟齬なく意図が伝わる表現に落とし込む
出力された文章の不自然さ (同じ語尾の連続、論点のズレ、重複)を修整・編集する
プロンプトだけを真似しても、前段階の「問いの設計」と「編集力」が抜け落ちていれば、アウトプットの質が落ちるのは避けられません。
どんなに優れた道具も、使い手次第なのです。
【AIを使うのは、実はめちゃくちゃ疲れる】
AIを使って質の高いアウトプットを出せるライターは、
実質的に「AIのディレクション」を行っています。
その動きはライターというより、ディレクターの領域です。
対AIであっても、
やっている頭の使い方は「対人のディレクション」と変わりません。
自分でゼロから文章を書く場合、
脳内にあるイメージを直接言葉に変換していけば済みます。
しかし、AIを使う場合はそうはいきません。
前提情報の整理
問い(課題)の設計
プロンプトの構築と入力
生成された成果物のチェック
ファクトチェック(事実確認)
表現の調整・微修正
全体のトーン&マナーの調整
膨大な「判断」を短時間に繰り返すため、
自分で書くよりも脳の違う部分を使い、格段に疲労します。
この一つひとつの判断は、経験と専門知識があって初めてできるものです。
「そんなことはないはずだ」という方は、
駆け出しのライターと、3年以上経験を積んだライターに、
同じ原稿をリライトさせてみてください。
上がってくるものの違いに驚くはずです。
だからこそ個人的には、
AIを活用した高品質なライティングは、
従来の「1文字=〇円」という単価設定ではなく、
「ディレクション費用」に準じた評価がされるべきだと考えています。
これからの時代、AIの生成物をコピペするだけのライターは淘汰されていくでしょう。
実際、それを肌感覚として感じています。
しかし、
AIを「自分のアウトプットの質を高める相棒」としてディレクションできる人は、
価値が高まっていくはずです。
3年後には
「AIに振り回されるライター」と「AIを相棒にするライター」の二極化が
ますます進むと思います。
【どれだけAIが進化しても不変なこと】
AIはこれからも進化し続けるでしょう。
だからこそ、「人が生み出すものの価値」は
ますます高まっていくはずです(高まっていってほしい、という願いも含めて)。
「AIを使えばSEO記事を量産できる」
「プロンプトを打つだけで簡単だ」
そう思うクライアントもいるかもしれません。
ですが、
その量産された文章で、
読んだ人の感情を動かし、行動を喚起することができますか?
自分自身がその文章を読んで、心を動かされますか?
AIを使おうが使うまいが、
大切なのは「言葉の届く先」を意識することにほかなりません。
時代がどれだけ変わっても、
人の心を動かすのは、
人の想いから生まれた言葉や絵、音楽なのではないでしょうか?


