ノスタルジック喜多方
- 結城

- 7月29日
- 読了時間: 1分
過日、喜多方のレトロ横丁に行ったときにふと思った。
喜多方にあるのは「レトロ」ではなく「ノスタルジー」なのではないか? と。
ローラースルーゴーゴーやクラシックカー、往年の銀幕スターといったレトロのもつ空気感よりも、
夏の田を抜ける風の姿や入道雲、夕立前の雨のにおい、
用水路に浮かんでいる大きなスイカや真っ赤なトマト、
ラムネのビー玉に反射する日差し……
夏の日の原風景と言われて、おおよその日本人が思い描くものが、喜多方の街にはよく似合うと思った。
初めて来ても「懐かしい」と感じ、また喜多方に「帰りたい」と思う――そんなノスタルジー(郷愁)こそが、喜多方の街が持つ懐の深さであり、ぬくもりなのではないか。
客人として訪れても、2日3日と過ごすうちに、いつしか喜多方が「ふるさと」になる。
ノスタルジーには、いつでも少しの寂寥感が付いてまわる。
それは、ノスタルジーというものが放つ誘引灯かもしれないし、残り香のようなものかもしれない。
寂寥感のないノスタルジーなどというのは、ひどく味気なく、薄っぺらい。ノスタルジーには、少しの憂いと寂しさと、憧れが内包されていてほしいと思う。
そして喜多方は、その少しの憂いと寂しさと、遠い日への憧れを受け止める街であってほしいと思う。


